第36回目のブログは、前々回、前回の続きのブログになっています。

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前回のブログでは、‘‘Dining+Cafe&Bar閏うるう‘‘でランチをしたところまで書きました。今回のブログは、そのあとのことを書いていきます。

ランチ後は、鳥丸御池駅に戻るのではなくその次の駅である二条城前駅まで歩きます。Dining+Cafe&Bar閏うるうから二条城前駅までは、徒歩5~10分程度です。

京都市営地下鉄 東西線

まず最初に乗車する路線は、京都市営地下鉄 東西線です。東西線については、前回のブログで説明したので省かさせていただきます。

乗車する列車は、普通 太秦天神川行きです。

使用車両は京都市営地下鉄50系です。50系についても前回のブログで説明したので、省略させていただきます。

二条城前駅から乗ること約2分。二条駅に到着です。二条駅では別の路線に乗り換えます。

JR山陰本線(嵯峨野線)

続いて乗車する路線は、JR山陰本線(嵯峨野線)です。JR山陰本線(嵯峨野線)は、京都駅から山口県下関市にある幡生(はたぶ)駅を結ぶ路線です。この路線の路線距離は673.8kmととても長く、この路線距離は、新幹線を除くJR線としては日本最長となっています。

()内に書かれている嵯峨野線とは、京都駅から途中駅である園部駅までの区間に名付けられた愛称で、正式には嵯峨野線という路線は存在しません。

乗車する列車は、普通 京都行きです。

使用車両は、223系2500番台です。223系2500番台は、1999年から導入が開始された車両で、大阪環状線、関西空港線など幅広い路線で活躍しています。また、223系全体では927両が製造されており、JR西日本を代表する種別である‘‘新快速‘‘の現役車両として、JR西日本の主力車両となって活躍しています。

223系は、本当に多くの路線で活躍していて、関西に行くと必ずと言っていいほど乗る車両です。

新快速運用では最高時速130㎞/hを出して走行し、滋賀県の米原駅から兵庫県の姫路駅の198.4kmを約2時間40分で結んでいて、「特急つぶし」という異名までついています。一番長い運用では、福井県の敦賀駅から兵庫県の播州赤穂駅までの275.5㎞を約4時間10分で走行する運用があります。これは、在来線の普通列車で国内最長の運行距離を誇ります。

223系2500番台に乗ること約3分。梅小路京都西駅に到着です。

京都鉄道博物館

続いてのスポットは、京都鉄道博物館です。

京都鉄道博物館は、2015年8月30日に閉館した旧梅小路蒸気機関車館を拡張・リニューアルする形で、2016年4月29年にグランドオープンした施設です。京都鉄道博物館は、蒸気機関車の保存に力を入れており、全54両の収蔵車両のうち、蒸気機関車は23両と全収蔵車両の約2分の1を占めています。また、8両のSLが※動態保存されています。

※動態保存とは、その名の通り車両が動く状態で保存することをいい、反対に、動かない状態で保存することを静態保存といいます。

それでは、館内を見学していきたいところですが、京都鉄道博物館に来たら、まず最初にやることがあります。それは、SLスチーム号の乗車券を買うことです!

SLスチーム号とは、本物のSLが牽引する客車に乗車することができる、とても大人気なイベントです。料金は、大人(高校生以上)が300円、3歳以上が100円とかなり安価に設定されています。SLスチーム号で使われているSLは、‘‘C56形160号機‘‘、‘‘C61形2号機‘‘、‘‘C62形2号機‘‘、‘‘8620形8630号機‘‘の4両で、日替わりで運行されています。

動態保存されているSLの中には、コンプレッサーという機械をSLに取り付け、石炭を使わずに走行できるよう改造されている車両もありますが、SLスチーム号で使われるSLは、このような改造は行われておらず、現役当時のように石炭と水を使って走行します。

発車時間まで15分ほど時間があったので、京都鉄道博物館で1番の名物と言っても過言ではない、‘‘扇形車庫‘‘を見学していきたいと思います。

扇形車庫とは、転車台を中心として構築した扇形の車庫のことで、鉄道の主役が蒸気機関車であった時代に多く建設されました。現在は、転車台を必要とする車両が一部を除いていなくなってしまったため、転車台と共に扇形車庫も姿を消しつつあります。そのため、京都鉄道博物館に保存されている扇形車庫は、とても貴重なものになっています。

みなさん、本題からは逸れますが、こんな話を知っていますか?

「原爆は、元々広島ではなく京都に落とす予定だった」

実際には、8月6日に広島、8月9日に長崎に落とされていますが、元々は広島ではなく京都に落とす予定になっていたそうなんです。そして、なんとその落とす地点が、梅小路機関区(現 京都鉄道博物館)の転車台だったそうです。なぜ転車台に落とす予定になっていたのでしょうか?それは、上空から視認しやすかったからだそうです。

実際に、上空から見てみましょう。

確かに、上空から見てもかなり大きく見えて、狙いやすいように見えます。

では、なぜ落とされなかったのでしょうか?それは、京都は古都であり、アメリカの評判を落としかねないという懸念があったためだと言われています。

もしも本当に落とされていたら、京都鉄道博物館ができることもなかったはずですし、逆を言えば広島の原爆ドームができることもなかったはずです。代わりにこの転車台と扇形車庫が、今の原爆ドームのように扱われたかもしれませんね。

それでは、本題に戻ります。

扇形車庫には、たくさんのSLが保存されています。全部の車両を詳しく説明していると、長くなってしまうので、その車両の特徴のみ書いていきます。

B20形10号機は、昭和21年に製造されたSLです。B20形は、戦時中に設計された小型の機関車で、構内入れ替え用として活躍しました。

C59形164号機は、昭和21年に製造されたSLです。C59形は、大型の旅客用蒸気機関車で、164号機は、東海道本線や山陽本線で活躍しました。

D50形140号機は、大正15年に製造されたSLです。D50形は、1923年から製造された貨物用蒸気機関車で、輸送力が飛躍的に高められました。

9600形9633号機は、大正3年に製造されたSLです。9600形は、日本で最初の量産タイプの貨物用蒸気機関車です。

Ⅽ55形1号機は、昭和10年に製造されたSLです。C55形は、1935年から製造された中型の旅客用蒸気機関車でC54形の改良型になっています。

C58形1号機は、昭和13年に製造されたSLです。C58形は、1938年から製造され、ローカル線の旅客・貨物用として活躍しました。

D51形1号機は、昭和11年に製造されたSLです。D51形は、累計1,115両も製造された大型の貨物用蒸気機関車で、‘‘デゴイチ‘‘という愛称がついています。

8620形8630号機は、大正3年に製造されたSLです。8620形は、日本で最初の量産タイプの旅客用蒸気機関車です。このSLは、前述したとおり動態保存されていて、SLスチーム号牽引機として活躍しています。

C56形160号機は、昭和14年に製造されたSLです。C56形は、1935年から製造された小型の蒸気機関車で、旅客・貨物用として活躍しました。このSLも動態保存されていて、SLスチーム号牽引機として活躍しています。

7100形7105号機「義経」号は、明治13年にアメリカで製造されたSLです。7100形7105号機「義経」号は、北海道最初の幹線鉄道として建設された幌内鉄道に、アメリカより最初に輸入された機関車で、1号機として「義経」と名付けられました。1952(昭和27)年に鉄道開業80周年を記念して自走可能な状態に復元され、2014(平成26)年に、梅小路運転区100年を記念し、石炭と水で走行可能な状態に完全復元されました。

1070形1080号機は、明治34年にイギリスで製造されたSLです。1070形は、明治期の6200形から改造された蒸気機関車です。

C61形2号機は、昭和23年に製造されたSLです。C61形は、自動給炭装置が初めて採用された大型の旅客用蒸気機関車で、D51形のボイラーをを流用して製造されました。愛称は‘‘シロクイチ‘‘です。

C62形1号機は、昭和23年に製造されたSLです。C62形は、日本最大の旅客用蒸気機関車で、D52形のボイラーを流用して製造されました。愛称は‘‘シロクニ‘‘です。

D52形468号機は、昭和21年に製造されたSLです。D52形は、日本最大の貨物用蒸気機関車で、戦時中の石炭輸送で活躍しました。愛称は‘‘デゴニ‘‘です。

C51形239号機は、昭和2年に製造されたSLです。C51形は、1930年に登場した超特急「燕」を牽引した旅客用蒸気機関車です。

C53形45号機は、昭和3年に製造されたSLです。C53形は、国産唯一の3シリンダーを持つ大型の旅客用蒸気機関車です。

SLがこんなにたくさん保存されている施設は、京都鉄道博物館以外ないと思うので、みなさんもぜひみなさんの目で日本の発展に貢献したSLを見てみてくださいね。

それでは、SLスチーム号に乗車していきたいと思います。

今回の牽引機は、C62形2号機です。

それでは車窓動画をどうぞ!

片道約5分と短い蒸気機関車の旅ですが、本物の電車と並行して走る様子を実際に体験できるイベントは少ないので、とても貴重な体験ができました。

それでは、館内を見ていきたいと思います。

館内にはいろいろな車両だけではなく、鉄道に関係する設備やものが多く展示されています。

すべてを紹介することはできないので、代表的な車両のみを紹介します。

まず最初に紹介する車両は、500系です。

500系は、JR西日本が開発した新幹線車両です。最盛期には、東海道・山陽新幹線の両路線で活躍していました。現在は、山陽新幹線でこだま号として活躍しています。ただ、2027年までには全車引退するとJR西日本公式から発表されているので、乗ってみたい方はお早めに!

500系の特徴は、車体が円形を描いている点と、先頭車両が戦闘機のような鋭く尖った形状になっている点です。なぜ500系にこのような独特のフォルムが採用されたのかというと、最高時速320㎞/hの高速走行を行うために500系は開発されたからです。実際は最高時速320㎞/hでの高速走行は行われず、最高時速300㎞/hでの運転にとどまりましたが、それでも300㎞/hという大台にのったのですから、十分だと思います。

続いて紹介する車両は581系です。

581系は、国鉄が製造した寝台/座席両用特急型電車で、青森駅から西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)までの広範の地域で活躍しました。

581系の特徴は、昼は座席車、夜は三段式の寝台車と昼夜兼用可能な設備をもっている点です。また、昼は座席車、夜は寝台車で運用できる車両は、581系が世界で初めての車両です。

現在はすでに全車引退していて、広範囲を昼夜ともに運用されていたことから、老朽化が激しく、静態保存されている車両はかなり少ないです。

続いて紹介する車両は、DD54形です。

DD54形は、国鉄が設計・製造したディーゼル型機関車です。

この車両の特徴は、エンジンなどの主要機器がDD54形を製造した三菱重工がライセンス契約を結んでいる西ドイツのメーカーの提携品を使用している点です。

DD54形は、1966年~1971年に製造され、全車の引退はなんと1978年6月と、10年程度しか活躍しませんでした。なぜ、DD54形がこれほどまでに短命だったのでしょうか。

その理由は、度重なる機器類のトラブルが発生し、事故が多く発生してしまったからです。実際に起きた事故の一例を言うと、推進軸という動力を車輪に伝達するための大事な部品が脱落し、DD54形が脱線・転覆、それに続く客車6両も脱線するという大事故がありました。この他にも、推進軸が落下して、床下から出火するなど今では考えられないような事故もありました。

また、このような事故が発生したときに所属する車両基地で修理できれば、まだよいのですが、DD54形の場合、鷹取工場という工場へ回送して修理を行わなくてはならず、とても面倒でした。しかもそれが頻繁に起きるという、最悪の状態でした。このような状態になってしまったことから、約10年の短い活躍となってしまいました。

ただ、DD54形も全く実績を残していないわけではなく、蒸気機関車の廃止に貢献した車両でもあります。結果的には、‘‘失敗機関車‘‘という烙印を押され、トラブルが起きたときには置き換えたはずの蒸気機関車に救援されるという事態まで発生してしまったそうですが…。

ぜひみなさんも日本の鉄道に貢献した車両たちを見てみてくださいね。京都鉄道博物館は、鉄道好きではなくても楽しめるスポットになっているので、次に京都を訪れた際には、行ってみてください。

それでは、次のスポットへ向かいたいと思います!次のスポットも少し離れているので、電車を利用して向かいたいと思います。

JR山陰本線(嵯峨野線)

乗車する路線は、JR山陰本線(嵯峨野線)です。山陰本線についての説明は、前述したので、省かさせていただきます。

乗車する列車は、普通 京都行です。

※フリー写真です。

使用車両は、JR西日本221系です。221系についても、前々回のブログで説明したので、省かさせていただきます。

221系に乗車すること約3分。終点京都駅に到着です。京都駅には、日本で約35か所しかない0番線があります。しかも、この0番線には特急サンダーバード号しか来ないというなんとも贅沢なホームになっています。

それでは、次の路線へ乗り換えたいと思います。

京都市営地下鉄 烏丸線

続いて乗車する路線は、京都市営地下鉄 烏丸(からすまる)線です。烏丸線は、1981年に開業した国際会館駅~竹田駅を結ぶ路線で、京都市で初めて開業した市営地下鉄路線です。烏丸線は、近鉄京都奈良線との相互直通運転もされています。

乗車する列車は、普通 国際会館行きです。

※フリー写真です。

使用車両は、京都市営地下鉄20系です。20系は、2022年から運用が開始された烏丸線の新型車両です。20系は現在も増備が続けられており、合計で54両の20系が烏丸線に導入される予定になっています。

20系に乗ること約3分。四条駅に到着です。それでは次のスポットに向かいましょう!

錦市場

続いてのスポットは、錦市場です。錦市場とは、京都市中京区のほぼ中央に位置する錦小路通りのうち、寺町通り~高倉通り間に存在する食品販売中心の商店街のことをいいます。

錦市場は、平安時代に豊富な地下水を利用して京都御所へ新鮮な魚を納める店が集まり始めたもので、約1300年もの歴史をもつそうです。京都市民からは‘‘にしき‘‘という愛称で親しまれているそうです。

錦市場では、京野菜、京漬物などから湯葉クリームコロッケや豆乳ソフトクリームなど一風変わったものまでさまざまなものが揃えられています。このことから‘‘京の台所‘‘とたとえられることも多いそうです。

京都ならではのおみやげもたくさん売られており、とても魅力的な場所でした。京都のお土産に困った際には、ぜひ錦市場に行ってみてください。

それでは、バスを使い、宿に戻りたいと思います。

聖護院 御殿荘

四条河原町からバスに乗ること約13分で、最寄りのバス停である熊野神社前に到着です。

宿に戻り、少し休憩してから足湯に入ったのですが、とても気持ちが良かったです。

まとめ

今回は、前回、前々回の続きということで書いてみましたが、どうでしたか?丸1日使って京都の様々なところに行きましたが、これでも京都の有名な名所は全部回り切れていません。また、行かなくちゃいけないですね。

次回のブログは、京都・奈良編最終回です。京都の1番の名所と言ってもいい‘‘あの場所‘‘に最終日は行ってきたので、その様子やその他のスポットについても書いていきます。

ちなみに、次回のブログに鉄道は一切登場しません!あらかじめご了承ください!

それでは、次回のブログもお楽しみに~!!

投稿者 daisan

「古都‘‘京都‘‘が教えてくれる日本の歴史③」に2件のコメントがあります
  1. 京都鉄道博物館博物館には、立派なSLが保存されているのですね。びっくりしました。

  2. 京都都にも鉄道博物館があったのははじめて知りました。鉄道の歴史まで堪能できるんですね、ほんとに京都は観光名所がありすぎますね!
    次回も楽しみにしてます

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